(前回その1からの続き)
暖かい毛布が冷めたころ、ミセスLがやってきて、点滴静脈注射(IV)を始めると言う。
あっと思って、左腕を見ると血管が全然見えない。右腕のほうがまだしもうっすら見えるが、大丈夫かなと不安になる。いつものことだが、血液検査でもうまく針がささらなくて困るのだ。
ミセスLも私の腕を見て、探してみるわと左腕上部をゴムで縛ってみたが、すぐあきらめた。右はどうですかと私が聞くと、反対側に来て同じ事をする。今度は針を刺してみたが、だめらしい。皮膚の下で針を動かされて痛い。
「ごめんなさいね。これじゃあだめだわ。麻酔の先生にやってもらいましょう。彼のほうがうんと上手だから。」
ミセスLがあんまり済まなそうなので、「あなたのせいじゃないですから、気にしないで。いつもこうですから。」となぐさめた。
血の付いたIVの先っぽを毛布の上に置いたまま、ミセスLはどこかに消えたが、戻ってきて、「コロノスコピーが予定より遅れてます。もう少しここで待っていてください。」
またうとうとする。ハーイと言う声でふと目を開けると、私の顔のすぐ前に医者がいた。私好みのいい男。三十代半ばといったところか。
あなたの麻酔医ドクターAです、気分はどうですか、と手を差し伸べられる。横になったまま、ドクターAの手を握るとあったかい。話しているあいだずっと手を離さないドクター。まあ、こんなハンサムな先� ��が麻酔をしてくださるなんて、とぼんやりした頭で先生の顔を見つめる。
「血管が出なくて、まだIVできてないんですけど。」と言うと、「大丈夫。手術室でやりますから、心配しないで。」 んまあ、声まで私好み。
コロノスコピーに来た甲斐があるってもんじゃないの。
* * *
ミシェル·ヘイリーフェルドマンハイランドフォールズニューヨーク
どれくらい時間が経ったか、手術に立ち会うナースがやってきて、キャスターのストッパーを外し、手術室(といってもほんの10メートル先)までベッドを押して行く。
小さい部屋にTVモニターみたいなのが天井からぶら下がっていて、コロノスコピーに使うらしいチューブや血圧計や心肺モニターが目に入る。コロノスコピーそのものは20〜30分程度で終わるとのことだった。
先週コロノスコピーの事前説明で会ったドクターSが、私のほうを向いてハーイと手を振る。私も手を振り返す。
ドクターS, ドクターA、ナースは無言でテキパキ仕事を進める。有能そうだ。やっぱり病気を治すならアメリカだなと、根拠もなく考える。
右腕に血圧を測るた めの収縮布が巻かれる。胸のところに、ホックの片割れみたいなものが3つ貼り付けられる。鼻の穴に酸素吸入チューブが入る。指先にクリップがはまる。
ドクターAがIVのための針を手に左腕の血管を探し始めるが、すぐに上腕部のゴムを外した。「使えそうなのが見つかったけれど、敏感なところだからやめましょう。」そして、手の甲に針を刺した。チクッとしますよ。Three, two, one. いつも猫に噛みつかれたり引っかかれたりしているので、平気。それにトライライトの苦痛に比べたら、なんでもない。
部屋が暗くなる。こんな暗くていいいのかな。そのほうがモニターが良く見えるのかな。
ナースが左側を下にして横を向けと言う。その通りにするが、まだ麻酔が効いてないのに始めるの?と不安になって、「あの、私まだ目がパッチリ覚めてますけど。」と言ってみる。
ナースは笑って、大丈夫、まだ何もしませんよ。でも起きているうちに体位を変えてもらうことになってます。ドクターがOKと言えば、すぐ眠れますから。麻酔医のドクターAも、「あなたの意識がちゃんとあることはわかってますよ。まだ麻酔を始めてませんから。」
あら、じゃあIVの中� ��麻酔を入れたんじゃないのね、とばかな質問をした私は反省する。あっちはプロなんだから任せておけばいいのに、疑い深い患者で申し訳ない。
大恐慌は、実際にはどこを始めたのですか?
ドクターAが注射器を片手に、私の左手を取る。まあ、きれいな目。首にダビデの星をかたどった金のネックレスが見えた。ドクターAはユダヤ人か。
ドクターSはアラブ系。ナースはイタリア系か。まあ、こんないろんな人たちが私のために働いてくれてるのね、と感動する。メディカルスクールに行って、レジデントもやって、大変だっただろうなあ。ナースだって、こんなにいろんな薬や機械、医学用語を勉強しなくちゃいけないし。
世の中で一番えらいのは人の命を預かる人たちだという考えを新たにする。
注射器には麻酔薬の白い液体� �入っている。血管を通って、じわーっと広がっていく感覚がある。ドクターAは注射器の半分だけ使って取り外した。やっぱり麻酔だけは体格によって使用量があるのだ。どうして最初から半分だけ入れないんだろうか。もったいない。いつ眠くなるのかな。
* * *
気が付いたら、カーテンで仕切ったところに戻っていた。なんだかふわふわした気分。痛くもなんともないが、目を開けていられない。まだ麻酔から完全に覚めてなくて気持ちいい。
看護婦が来て、お迎えの人は誰か、いつ来るのかと聞く。夫です。自宅で待ってます。と言うと、じゃあ電話しましょうと言って消えた。
いま何時かな。まだ帰りたくないなあ。いつまでもここでふわふわ寝ていたい。
ハンサムなドクターAが様子を見に来たが、私は丸まって毛布をかぶって寝ていた。メガネが壊れるからと上を向かされる。起きる努力をしろということか。麻酔医は当然どれくらい麻酔が効くかわかっている。私が単に気持ちよくてうとうとしているナマ ケモノなのもわかっているのだ。
前に麻酔を受けたときは、目覚めたときには吐き気と頭痛で悲惨だった。あれは長い手術だったので、ちがう麻酔かもしれないが、そっちの技術も進歩しているんだろう。
"強力な後半" WNBAショックタイトル戦デトロイト
日本では麻酔なしのコロノスコピーもあるという。根性で乗り切れというのか。私にはできない。麻酔の危険はゼロではないけれど、全身麻酔さまさまである。手術の記憶はまったくない。
ベッドの中でうとうとしていると、夫が現れた。もー早すぎるじゃないの。どう気分は? 服を替えなくていいの? 起きなくちゃだめだよ。うっとうしいわね。
ドクターSが来て、「ポリープなし、癌なし。コロノスコピーうまく行きましたよ。次回は5年後ですね。」と言う。
ほら、何もなかったでしょ。肉を食べないんだから。5年後に健康保険があったらね、と思う。 それまでに下準備がもう少し楽になってるといいなあ。
わたし 「準備はあれでよかったでしょうか。ちゃんとできてましたか。」
ドクターS 「ベリーナイスでした。」 合格。
カーテンを閉めて夫を追い出し、着替えをする。ナースが来て、また何かにサインしろという。退院についての書類。ぼーっとした頭でサインして、夫と共に部屋を出た。
いつもの方向音痴がさらにひどくて、どっちが出口かわからない。受付の待合室まで戻ってやっと感覚を取り戻す。
今日は私が夕食を作らないとわかっている夫は、ケンタッキーフライドチキンに寄りたいと言う。ドライブスルーでなくて、中で注文すると言って出� ��行った。例のレシートを捜索するチャンス。鈍い頭であちこちひっくり返す。グラブコンパートメントには鍵が掛かっていて開かない。どこにも郵便局のレシートはない。
夫が大きな袋を提げて戻ってきた。ものすごいチキンの匂い。暖かいので、匂いを我慢して家まで抱っこすることにした。
* * *
薄情な猫たちは出迎えなし。いつもと違うスケジュールなので、困惑している様子。特に兄猫は昨日今日と私に付き合って、2階のベッドルーム、1階のキッチン、両方のトイレの往復にずっとくっついていたので、疲れてるかもしれない。
私も疲れているが、卵入りのおかゆを作ることにする。夫にアメリカ人はこういうとき何を食べるの、と尋ねる。(例によって、チキンスープかな。)
夫 「さあ〜、知らないなあ。カッテージチーズじゃないかな。」
わたし 「チーズ? ほとんど丸2日の絶食のあとでいきなりチーズなの?」
夫 「カッテージチーズだよ。チーズじゃない。」
名前からしてチーズでしょ。それに乳製品なのは確かでしょ。吸収しやすいのかもしれないけど、私はいきなりチーズは無理だ。
45時間ぶりの食事。おかゆがおいしい。食べられる幸せ。あったかいお茶も入れる。
夫か息子たちに、私好みのおかゆの作り方を教えておかねば。
退院の書類には、12時間運転禁止、今日は静養することと書いてある。いつも以上に堂々と昼寝できる。パジャマに着替えて、ベッドにもぐりこむと、兄猫が来て、わたしにピッタリ貼り付く。これも暖かい。
<今日の英語>
Let's take him at his word.
彼の言葉を額面通りに受け取りましょう。
NYタイムズの相談コラムより。ラスベガスで結婚する友だちが、自分が全部費用を持つからぜひ出席してくれと懇願された失業中の人。ホテルや飛行機代で〆て$1400かかった。ところが、友だちは$500の小切手を送ってきて、「ゴチャゴチャ言わないでくれよ。」 全部払うって言ったんだから、払ってもらいましょう。
Just take my word for it.ならば、私の言うことを信じなさい。
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