2012年3月30日金曜日
U Street / African-American Civil War Memorial / Cardozo (WMATA Station)の意味
2012年3月27日火曜日
:: 水曜どうでしょう 番組スタッフからのメッセージ ::
★藤嬉のエジンバラ出張日記★
【3011年8月16日火曜日】
藤村でございます。
私と嬉野先生は、今週末からある芝居、
というか「パフォーマンス」を観るために遠く、イギリスはスコットランドに出張してまいります。
嬉野先生がたぶん「出張つれづれ日記」を現地から送る、とは思いますが、
私もなにかしらこちらに書いていこうと思っております。
今月いっぱい、スコットランドで過ごしてきます。
また、良いものに出会える気がします。
【2011年8月18日(木)】
嬉野ですよ奥さん。
えぇ、うちの藤村さんが、先日日記に書き残されましたとおり、
ぼくらは今週末にイギリスに出張しましてね、
10日ばかり札幌を留守にするわけでありますが。
スコットランドのね、エジンバラというところへね、行くんでありますが。
もうね、なんせ今週末のフライトだから、出発まで、日が無いの。
で、藤村さんは、本日からもう、ひと足先にね、ひとり東京へ出張に出ちゃうんだということでね、
「じゃぁ、成田で」つって言いながら、昨日帰りに別れましたよ。
ちゅうことでね、嬉野さんは、今朝も札幌で、ひとり立て混みながら、
ばたばたとしておりましたら奥さんね、午前中でしたかしら、私の携帯にメールが入りまして…。
なにかいな?と、見ましたらね、藤村さんからですよ。
「おはようございますわたくし、パスポートを忘れまして、午前中にカミさんが会社の受付に持っていきます。受付の子には、嬉野さんのデスクに届けるように、言っておきましたので、それをね、成田に持ってきてくださいね。 藤村」
いきなりパスポートを忘れたそうですよ。
笑っちゃってね。
書きながらさすがに彼もバツが悪いと思ったのでしょうか、
メールの末尾2行に「ね」が二つもありますもんね。
あの方の文章の末尾に可愛く「ね」があるなんてさぁ、見たことないですね。
だもんで面白かったんだけど。
確かに、会社に出てきたらデスクの上にありましたよ。
それらしき封筒が(^^)
「嬉野さま お手数をおかけいたします 藤村パスポート在中」
藤やんの奥様の筆跡ですね。
ご苦労さまでご座居ます奥さま。
そうしましたらですよ、さっきですよ、
私の携帯にまたメールが入りましてね、
見ましたら今度は、カリスマスタイリストの小松さんからです。
「うれしーさぁ 藤やんとエジンバラ行くんだってね こっちは土曜日、藤村家で飲み会なのよ 藤やんの奥様と(^^)」
なるほど…。
ヒゲの居ぬまの…ねぇ。そりゃありますさ。
とうことでね、藤村先生。
あなたのパスポートは、確かに私が受け取っております!案ずるな!
さぁ本日は、くじらさんの納涼イラストの更新日です!
パソコンでご覧のみなさんは眺めましょう!
それとそれと、掲示板には、「文久三年」目覚ましへの賛辞が、ズラズラと届いております。
もう大人気。
ただ、その書き込みはまだ上げてはおりませんね。
なにしろ、ばたばたしちゃってますからね。
それでは諸氏。本日も各自の持ち場で変わらぬ奮闘をなされますように。
解散!
【現地時間8月21日午後7時30分。】
藤村でございます
成田空港から12時間かけてロンドンに到着いたしました
日本時間では日付変わって22日の午前3時30分であります
本日はヒースロー空港近くのホテルに宿を取りまして、
明日朝の便でスコットランドのエジンバラに入ります
12時間のフライトでは、嬉野先生と席が離れておりましたが、
私は隣の席のご婦人(76歳)とワインを飲みながらすっかり人生について話し込みまして、
その後は酔っぱらって5時間ほど寝て、映画を2本観て、わりとあっさりロンドン到着
今回の旅の目的は、
エジンバラフェスティバルという世界的に有名な演劇祭で1ヶ月のロングラン公演をしている
「白A」というパフォーマンスグループを観ることであります
海外でがんばる日本の若者の姿をしかと観てまいります
ロンドンの午後7時。窓の外はまだまだ明るい…でも眠くてしょうがない
寝ますよもう
今日はここまで 現地から藤村でした
おやすみなさい
【2011年8月22日(月)】
嬉野です。
私と藤やんの二人は、 12時間の飛行の末、無事イギリスに到着いたしました。
イギリスは現在サマータイムでありますから
日本との時差は8時間です。
つまり、こちらは、みなさんの生活の8時間前をやっと進行しているということですから、
みなさんが朝ごはんを食べようかという頃には、
ぼくらはやっと前の晩のそろそろ寝ようかなという頃合いなわけです。
なんだかタイムスリップしたみたい。
さぁそれではしばらく、このように遠隔操作で日記を書いていきますのでお楽しみに。
そしてさっそく時差ぼけで眠いです。
では、ここイングランドの地より、
本日も諸氏が、各自の持ち場で奮闘されんことを願い上げます。
解散。
【現地時間8月22日午後5時】
日本時間日付変わって23日午前1時 藤村でござります
午前中にロンドンからスコットランドのエジンバラに入りました
崖の上にそびえるエジンバラ城を中心に広がる街は、
世界遺産に指定されているほどの美しい町並みで、
そのメイン通りでは、世界中から集まった演劇人がパフォーマンスを繰り広げております
通りを歩いただけでもうなんだか頭がくらくらしてきましてね、
さすが世界的な演劇祭の迫力!と思いましたら、
違いますね、
完全な時差ボケですね
眠いんですよもう… というわけで現在、宿でひとねむりしておりました
これからスコットランド料理を食い、
明日いよいよ「白A」のパフォーマンスを見に行きます
今日はこのへんで勘弁してやるぜ、エジンバラ
【現地時間8月23日朝6時】
完全なる時差ボケの藤村でごさいます
昨日、午前中にエジンバラに到着し、
街を一回りし、午後いったん宿に戻って1時間ばかりひとねむりし、
夕方、「白A」のみなさんとお会いして、
一緒にスコットランド料理を食べました ビールがうまくてね、
たくさん飲みました
料理もね、まぁうまいんですけど量が多くてですね、
腹一杯になりました
ワインも飲みましてね
デザートも食べましてね
デザートが半端なく甘いんですよ
だってね、試しにね、テーブルにあった砂糖をそのまんま食べてみたらですよ、
甘く感じなかったですもん
砂糖より甘いんですよ、デザートが
私も嬉野さんも倒れそうでしたよ
!doctype>2012年3月25日日曜日
2012年3月24日土曜日
<癒されないいやし、道徳的腐敗、不倫、偽り等々、ペンテコステ運動の驚くべき歴史>
「ヨハネの黙示録 8:10 第三の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、たいまつのように燃えている大きな星が天から落ちて来て、川々の三分の一とその水源に落ちた。
11 この星の名は苦よもぎと呼ばれ、川の水の三分の一は苦よもぎのようになった。水が苦くなったので、その水のために多くの人が死んだ。」
以下は、20世紀初頭からのペンテコステ運動の歴史を記したものです。
-------------------------------
「後の雨運動」は、その教義が異端的、誇張、そして虚偽に性格ずけられている。
このようなことばが、人には受け入れがたいものであることは、私にはわかっているが、しかし、この運動に関して書かれた文書は否定できない。
紀元一世紀に起きたヨハネ、パウロら、使徒達により起された奇跡は今日のクリスチャンにより行われているものとは、異なる。
使徒行伝時代のしるしが現在、回復されると主張され、それが使徒のしるしだといわれているが、しかしこれを受ける者は実際には、オカルト的な現象、たとえば「聖霊により倒される事」、霊で酔うこと及び魔術的(彼等は、知識のことばと称する)なことがらを受け入れなければならなくなる、さもなければ、彼等はしるしを過大視し、前もってつくりあげるようにさせられる。
これは、まさに最近の「後の雨運動」、笑いのリバイバルの中で見てきたことである。20世紀の後の雨運動は、文字どおり、霊的混乱、誤り、偽りにより動かされている。
ある人々は、我々がこの運動全体を描くといいながら、例外的なことを全体といいかえていると抗議するかもしれない。
2012年3月22日木曜日
軍事板初心者質問スレまとめ(FAQ) - レシプロ機
レシプロ機の理論的限界スピードと実際の記録ホルダー機を教えてください。
グラマンF8F改造エアレーサー Rare Bear
528.3mph(850.2Km/h);1989年8月21日@リノ・エアレース
理論上の最高速度はわかりません。
プロペラの回転速度と機体の飛行速度の合成速度が音速に達した時(衝撃波が発生した時)が限界です。
ペラの対気速度が超音速になっても大丈夫なペラを作れば(むろん、それに見合った出力のエンジンも)
レシプロ機でも超音速出せるそうです。某社のエンジニアから聞いた話。
4000~5000馬力だせるエンジンと各種最新技術で機体を作ったとし
てだいたい数億円あれば歴史に名が残るらしいぞ( ・・)/
プロペラ機の空中戦について教えてください。
例えば、双方とも10機ずつで遭遇した場合、お互いのターゲットは指揮官が指定するのですか?
ミサイルのない時代でしたら、敵を先に発見し後方上空に
位置を占有した方が有利になります。
(27:一等自営業 ◆kawD31MU)
「雷撃機」ってのは何でしょう
魚雷を積んで敵艦のそばで投下して攻撃する飛行機。
日本海軍だと攻撃機といいますね。
代表としては1式陸攻とか97艦攻、外国だとアベンジャーにソードフィッシュ。
カウルフラップってなんですか?
レシプロエンジンのカウリングの後ろの方に付いているヒンジ付き扉状のもので、
飛行速度やエンジン出力に対して冷却空気の流入量を調整します。
(結果 抵抗の極小化にも役立っている)
「液冷戦闘機は南方で著しく性能低下」ってたわごとですか?
史実がそれを証明していますよ
スピットなんかも性能が大幅に落ちています
一時期水上機が世界最速だった時代があるときいたのですが、それはいつ頃の話ですか?
フラップが開発される前の時代。(着陸速度が速すぎたので
いくら着陸(水)距離が長くても安全な水上機で競った。
第一次大戦前から1930年代の話。
1913年に始まったシュナイダーカップが有名。
最速の水上機はイタリアのマッキMC72。二重反転プロペラで、
時速約709キロを記録。(1934年だったか?)
水上機が初めて世界記録を出したのがシュナイダー杯レース用に作られた
1925年スーパーマリンS4の364.9km/hらしいです(不確実)。
最後は同じレース用に造られたマッキMC72で、
1939年にHe100V8に破られるまで最速でした。
1927年優勝のスーパーマリンS5の場合、最高速度が514.9km/hで
着水速度が144km/hとなっております。
レシプロ戦闘機が音速超えるやつってホントに出来るの?
従来の形式のプロペラだと、先端付近が音速を超えると途端に効率が
悪くなるので、音速を超えることは出来ません。
但し、最近の研究で開発されたプロペラだと、先端部の効率を良くして
いますので、音速を超えることは出来ます。
しかしながら、プロペラ機で音速を超えた機体はありません。
(47:眠い人 ◆gQikaJHtf2)
斜め銃というのはどの程度戦果を上げたのでしょうか?
渡辺洋二の著作を読んでいただければ、詳しいことがお判りいただけると
思います。B-29の戦術もコロコロ変わっていますので。
レシプロ機で疾風は小さなプロペラ、F4Uは大きなプロペラを使用しているが、こららの長所短所を教えてください。
小さいプロペラは高回転用、大きいのは高トルク用となります
他に胴体直径が大きいとプロペラ後流の干渉を減らすため大径化します
飛行機の脚周りは重いし、飛行中は役に立たない。ここがミソ。
疾風はもっと大きなプロペラでもよかったんだけど軽量化のために小径化している。
(プロペラ軽くしたいんじゃなくて脚を短くして軽くする。)
誉の性能もパイロットの技量もどっちも低下してたから、ちょうどよかったかも。
コルセアは逆ガル翼で脚を短くしたけど安定性低下してるね。
素直に脚を長くすると、重量が増すだけで無く主翼下面の脚収納用の切り欠きが大きくなって、離着陸性能が落ちる。
F8Fみたいな二段式にしてさらに重くなってしまう。
痛し痒し。
戦後、空自はレシプロ戦闘機を装備することは無かったのでしょうか?
航空自衛隊は発足した当時からF-86Fジェット戦闘機で装備を開始しています。
レシプロ戦闘機はまったく必要ありませんでした。
木製機は寿命が短い、という記載を見つけたのですが、WW2の時点での木製・金属製飛行機の寿命って、各々どんくらいなんですか?
木製機の寿命は、手入れと管理によりけり。
ソ連のような、朝昼、夏冬の寒暖の差、湿度の差が激しいところでは、合板は早急に劣化します。
日本だって、合板を外に出しておけば、数年でグズグズになりますよね。
アレと同じです。腐朽や接着剤の劣化などが原因です。
逆に、ソ連とは違って、湿度が少なく、気候の安定した土地なら、長持ちします。
ガレージや博物館の倉庫のようなところに入れておくなら、相当長持ちします。
博物館で管理されたWW1時の木製戦闘機の一部は、現在でも飛行可能です。
これは手入れと管理がいいからです。
金属戦闘機も同じです。手入れと管理次第です。
木製よりは管理しやすいでしょうが、アルミ合金の一部は、酸化などにより経年劣化しますので、くわしく「何年は大丈夫」と
いうのは算出できません。
反対に、第二次大戦中、あるイギリスの将校は、車でも洗うように、自分の愛機の木製機に毎日水をかけて洗っていたため、
半年程度で機体にガタが出てしまった、なんて話も聞いたことがあります。
第二次大戦時の爆撃機に付いてる機銃の命中率は戦闘機のものと比較して1/7程度しかないと聞いたのですが、これは正しいのでしょうか?
だとしたら何でこんなに差が出るのでしょうか?
もっと低いはず。
高速で動いてるもの相手に(たとえ電動でも)あの程度の速度でしか旋回、上下動しない機銃が
追随出来るわけなかろ。
それでも結構当たってはいたみたいだけどね。
機銃座からの射撃だと三次元機動する戦闘機の見越し角の計算や予測は難しい。
現代のレーダー測距+見越し角計算コンピューターを備えた機関砲でも中々当たらない。
況や人間の手による射撃がどうであるかは予想に難くあるまい。
戦闘機の方は自分から動いて撃ち易い位置取りが出来る分だけ予測も楽。
それと、戦闘機の射撃は外れようが無いくらい近づいてから撃つ事が推奨されてる。
「照準機から敵機がはみ出るくらい近付いてから撃て」ってエースパイロットの言葉があるくらいだ。
爆撃機にそれを望むのは無理だろう。
そんな射撃が出来る時には、既に戦闘機の機銃が火を噴いてる。
それでも機銃座の火線は避け、対空砲火の薄い所から攻撃するものだけどな。
第二次大戦中の戦闘機で、機銃は主に機首に積んだ物と、主翼に積んだ物等がありますが、命中性ではどちらが良かったのでしょうか?
機首です。
機首にも性能上スペース制約があってとか
単発のフロントエンジンの場合、主にはエンジンと兼ね合いが。
それをクリアするために、プロペラの主軸に内蔵したモーターカノン等はありますが、技術的には無理が多いです。
口径の小さなものならいいのですが。
又、主翼銃の弾道は平行にそのままだったのか、どこか一点に指向されていたのでしょうか?
集約です。
設計段階から決まっていたのか、現地で調整していたのか?
機銃固有の射程距離に応じた集弾距離が設定されています。
現場でも試射しながら調整します。
ヘリはトルクを打ち消すためにテールローターがありますが、単発レシプロ機にそのようなものは無いのでしょうか?
!doctype>大馬力のレシプロ戦闘機は右旋回と左旋回とかでは操縦性に違いとかないのでしょうか?
2012年3月21日水曜日
2012年3月17日土曜日
たちたち的嗜好回路ダフネ・デュ・モーリア
マキシムにとって、レベッカがもたらした禍がどれだけのものだったか。
レベッカによって、マキシムの心はどうなったのか。
作品中には、レベッカに出会って以後のマキシムしか出てこないので、レベッカに出会う前のマキシムを考えると、マキシムの気持ちや行動が理解できるかなー、と私は思いました。
ということで突然ですが、レベッカに出会う前のマキシムについて想像してみました。
想像のネタ元?を、茅野美ど里氏の翻訳『レベッカ』から引用します。
「わたし」が見た,恋人として・友人としてのマキシムの姿は、以下の通りでした。
マキシムはわたしが思っていたよりずっと陽気だった。夢見たよりもはるかにやさしく、心楽しい数々の場面で若々しく情熱的で、わたしが最初に出会ったときのマキシム、ホテルの食堂で空を見つめてひとりテーブルにつき、謎めいた自分の内面に埋没していたマキシムとは全然ちがった。わたしのマキシムは声をたてて笑い、歌をうたい、水面に石を投げて遊び、わたしの手を取り、眉間に皺を寄せたりせず、重荷も背負っていなかった。
(茅野氏訳、新潮文庫上巻、p.140)
もうひとつ引用を。ベアトリス(茅野氏の訳では"ビアトリス")が「わたし」にマキシムのことを話して聞かせた部分です。
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