2012年3月22日木曜日

軍事板初心者質問スレまとめ(FAQ) - レシプロ機



レシプロ機の理論的限界スピードと実際の記録ホルダー機を教えてください。

グラマンF8F改造エアレーサー Rare Bear
 528.3mph(850.2Km/h);1989年8月21日@リノ・エアレース
理論上の最高速度はわかりません。
プロペラの回転速度と機体の飛行速度の合成速度が音速に達した時(衝撃波が発生した時)が限界です。

ペラの対気速度が超音速になっても大丈夫なペラを作れば(むろん、それに見合った出力のエンジンも)
レシプロ機でも超音速出せるそうです。某社のエンジニアから聞いた話。

4000~5000馬力だせるエンジンと各種最新技術で機体を作ったとし
てだいたい数億円あれば歴史に名が残るらしいぞ( ・・)/


プロペラ機の空中戦について教えてください。

例えば、双方とも10機ずつで遭遇した場合、お互いのターゲットは指揮官が指定するのですか?

ミサイルのない時代でしたら、敵を先に発見し後方上空に
位置を占有した方が有利になります。

(27:一等自営業 ◆kawD31MU)


「雷撃機」ってのは何でしょう

魚雷を積んで敵艦のそばで投下して攻撃する飛行機。

日本海軍だと攻撃機といいますね。
代表としては1式陸攻とか97艦攻、外国だとアベンジャーにソードフィッシュ。


カウルフラップってなんですか?

レシプロエンジンのカウリングの後ろの方に付いているヒンジ付き扉状のもので、
飛行速度やエンジン出力に対して冷却空気の流入量を調整します。
(結果 抵抗の極小化にも役立っている)


「液冷戦闘機は南方で著しく性能低下」ってたわごとですか?

史実がそれを証明していますよ
スピットなんかも性能が大幅に落ちています


一時期水上機が世界最速だった時代があるときいたのですが、それはいつ頃の話ですか?

フラップが開発される前の時代。(着陸速度が速すぎたので
いくら着陸(水)距離が長くても安全な水上機で競った。
第一次大戦前から1930年代の話。

1913年に始まったシュナイダーカップが有名。
最速の水上機はイタリアのマッキMC72。二重反転プロペラで、
時速約709キロを記録。(1934年だったか?)

水上機が初めて世界記録を出したのがシュナイダー杯レース用に作られた
1925年スーパーマリンS4の364.9km/hらしいです(不確実)。
最後は同じレース用に造られたマッキMC72で、
1939年にHe100V8に破られるまで最速でした。
1927年優勝のスーパーマリンS5の場合、最高速度が514.9km/hで
着水速度が144km/hとなっております。


レシプロ戦闘機が音速超えるやつってホントに出来るの?

従来の形式のプロペラだと、先端付近が音速を超えると途端に効率が
悪くなるので、音速を超えることは出来ません。
但し、最近の研究で開発されたプロペラだと、先端部の効率を良くして
いますので、音速を超えることは出来ます。
しかしながら、プロペラ機で音速を超えた機体はありません。

(47:眠い人 ◆gQikaJHtf2)


斜め銃というのはどの程度戦果を上げたのでしょうか?

渡辺洋二の著作を読んでいただければ、詳しいことがお判りいただけると
思います。B-29の戦術もコロコロ変わっていますので。


レシプロ機で疾風は小さなプロペラ、F4Uは大きなプロペラを使用しているが、こららの長所短所を教えてください。

小さいプロペラは高回転用、大きいのは高トルク用となります
他に胴体直径が大きいとプロペラ後流の干渉を減らすため大径化します

飛行機の脚周りは重いし、飛行中は役に立たない。ここがミソ。
疾風はもっと大きなプロペラでもよかったんだけど軽量化のために小径化している。
(プロペラ軽くしたいんじゃなくて脚を短くして軽くする。)
誉の性能もパイロットの技量もどっちも低下してたから、ちょうどよかったかも。

コルセアは逆ガル翼で脚を短くしたけど安定性低下してるね。

素直に脚を長くすると、重量が増すだけで無く主翼下面の脚収納用の切り欠きが大きくなって、離着陸性能が落ちる。
F8Fみたいな二段式にしてさらに重くなってしまう。
痛し痒し。


戦後、空自はレシプロ戦闘機を装備することは無かったのでしょうか?

航空自衛隊は発足した当時からF-86Fジェット戦闘機で装備を開始しています。
レシプロ戦闘機はまったく必要ありませんでした。


木製機は寿命が短い、という記載を見つけたのですが、WW2の時点での木製・金属製飛行機の寿命って、各々どんくらいなんですか?

木製機の寿命は、手入れと管理によりけり。
ソ連のような、朝昼、夏冬の寒暖の差、湿度の差が激しいところでは、合板は早急に劣化します。
日本だって、合板を外に出しておけば、数年でグズグズになりますよね。
アレと同じです。腐朽や接着剤の劣化などが原因です。
逆に、ソ連とは違って、湿度が少なく、気候の安定した土地なら、長持ちします。
ガレージや博物館の倉庫のようなところに入れておくなら、相当長持ちします。
博物館で管理されたWW1時の木製戦闘機の一部は、現在でも飛行可能です。
これは手入れと管理がいいからです。

金属戦闘機も同じです。手入れと管理次第です。
木製よりは管理しやすいでしょうが、アルミ合金の一部は、酸化などにより経年劣化しますので、くわしく「何年は大丈夫」と
いうのは算出できません。
反対に、第二次大戦中、あるイギリスの将校は、車でも洗うように、自分の愛機の木製機に毎日水をかけて洗っていたため、
半年程度で機体にガタが出てしまった、なんて話も聞いたことがあります。

第二次大戦時の爆撃機に付いてる機銃の命中率は戦闘機のものと比較して1/7程度しかないと聞いたのですが、これは正しいのでしょうか?

だとしたら何でこんなに差が出るのでしょうか?

もっと低いはず。
高速で動いてるもの相手に(たとえ電動でも)あの程度の速度でしか旋回、上下動しない機銃が
追随出来るわけなかろ。

それでも結構当たってはいたみたいだけどね。

機銃座からの射撃だと三次元機動する戦闘機の見越し角の計算や予測は難しい。
現代のレーダー測距+見越し角計算コンピューターを備えた機関砲でも中々当たらない。
況や人間の手による射撃がどうであるかは予想に難くあるまい。
戦闘機の方は自分から動いて撃ち易い位置取りが出来る分だけ予測も楽。

それと、戦闘機の射撃は外れようが無いくらい近づいてから撃つ事が推奨されてる。
「照準機から敵機がはみ出るくらい近付いてから撃て」ってエースパイロットの言葉があるくらいだ。
爆撃機にそれを望むのは無理だろう。
そんな射撃が出来る時には、既に戦闘機の機銃が火を噴いてる。

それでも機銃座の火線は避け、対空砲火の薄い所から攻撃するものだけどな。


第二次大戦中の戦闘機で、機銃は主に機首に積んだ物と、主翼に積んだ物等がありますが、命中性ではどちらが良かったのでしょうか?

機首です。

機首にも性能上スペース制約があってとか

単発のフロントエンジンの場合、主にはエンジンと兼ね合いが。
それをクリアするために、プロペラの主軸に内蔵したモーターカノン等はありますが、技術的には無理が多いです。
口径の小さなものならいいのですが。

又、主翼銃の弾道は平行にそのままだったのか、どこか一点に指向されていたのでしょうか?

集約です。

設計段階から決まっていたのか、現地で調整していたのか?

機銃固有の射程距離に応じた集弾距離が設定されています。
現場でも試射しながら調整します。

ヘリはトルクを打ち消すためにテールローターがありますが、単発レシプロ機にそのようなものは無いのでしょうか?

大馬力のレシプロ戦闘機は右旋回と左旋回とかでは操縦性に違いとかないのでしょうか?


アンドレスDO礼paiva

ちゃんとある>単発機のトルク偏差
基本的には垂直安定板(垂直尾翼)をあらかじめ偏らせた設計にしてトルクを補正できるようにしてある。
あえてまっすぐ飛ばない用にして、エンジンの発生させるトルクでプラマイゼロになるようにしてあるわけだ。

もう一つ、エンジンの取りつけ角度そのものが最初からずらしてある、という方式もある。
考え方としては上と一緒。
エンジンを真芯にマウントするとエンジントルクで曲がっちゃうなら、最初からトルクの分だけマウントを真芯からずらせばいい。

操縦時のトルクから来る操縦偏差は、これも舵をずらすことで対応した。
同じ操縦桿やフットペダルの入れ方しても右回転させると左回転よりも過剰に回転するなら、その分だけ右に回転し辛くするように
舵を調節しておけばいい。


ボイコ爆撃照準器って、どんなものでしょうか?搭載機は何か分かりますか?

ボイコではなく、ボイコフです。オーストリア・ゲルツ社のボイコフ爆撃照準器で、日本ではこれを改造した90式照準器が作られ、
一式陸攻などにに搭載されていました。
ttp://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/3853/jnrs/jnrs4.htm

ttp://sv06.wadax.ne.jp/~gunsight-jp/b/1/sight-n.htm
此処に国産化型の九○式爆撃照準器が掲載されています。
ボイコーが第一次大戦中に発明し、ゲルツ社と共同開発したものです。
1927年に購入し、「ボイコフ式莫逆照準器」として制式化されたものです。
遠近全同調式、気泡水準器利用で、本体重量9.6kgです。
多分、九四式爆撃機辺りに装備されているのではないか、と思いますが、
装備機までは分かりかねます。

仕組みは、長い望遠鏡の先端にプリズムを置き、傾きを棹で調整、その角度を
目盛板で読みます。
望遠鏡の中には水準器があって、気泡の周囲が黒色の円に見えるように
なっており、照準中はこの黒色円を視界の中心に来るように望遠鏡を垂直に
保ちます。
また、視界を左右に変えるように、望遠鏡を垂直軸の周りに回すと、電気抵抗
の変化を関知し、操縦士正面の電流計に現れ、その指針の位置を見て、操縦
士が目標に機首を向ける仕組みになっていました。

(351:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

何故、第二次世界大戦初期の戦闘機は武装が貧弱なのでしょうか?

戦前の戦闘機の技術レベルだと、あまり大きな馬力のエンジンが開発できてなかったので
飛行機としての性能をちゃんと確保したいならあまり重い武器が積めない。
だから単発の戦闘機では積める武装に限度があった。

で、これを何とかするために各国で開発されたのが「双発戦闘機」で、要はエンジン2つ
積めば馬力2倍だから重武装と基本性能を両立させられるだろ、というコンセプト。
実際は「確かに馬力は倍になったが機体が大きくなった分機体自体が重くなったのでさらに
重武装させたら鈍重になった」のは良く知られている通り。

航空機の技術が日進月歩で進歩して、馬力のでかいエンジンが開発できるようになったため、
単発式でも重武装と基本性能が両立させられるようになり、P-47とかの大型戦闘機が続々
開発される。

他に、撃たれる側にも防弾装甲や自動防漏タンクが装備されてない物が多い、というのもある。
例えばバトル・オブ・ブリテンの頃の戦闘機は、英独双方共に防弾対策が不十分。

それよりも、戦争中期以降も、軽武装機を使い続けた某国の方が問題だと思うぞ。
44年に、12.7㎜機銃二丁の戦闘機を主力で使い続けてたんだから。


斜め銃ですが、メリットは大きかったんでしょうか?

爆撃機を撃墜するのに正面から迫ったのでは一瞬しか弾幕を浴びせられない
後方から迫り射撃するという戦法は敵が爆撃機の後部銃座を強力にしてきたので難しくなった
となると比較的武装の薄い胴体下部を狙えばいいのではないかという案が提出される
その戦法は機体下部にもぐって機首上げ姿勢のまま上昇し射撃するのだが射撃のチャンスはほぼ一瞬であり弾幕を集中させにくい
その解決策として編み出されたのが斜め機銃(ドイツでいうシュレーゲ・ムジーク)だった
敵機の下方に位置し同速度、同方向に飛行すれば斜め機銃の銃口は同一の方向を向くので無修正のまま射撃が可能になる
しかも変則装備法であるので敵機に対するインパクトも大きい
ちなみに斜め銃というアイデア自体は第一次世界大戦中も存在した


第二次大戦時の戦闘機の機銃の動力源に圧搾空気ボンベが積まれていますが、シロウトから見ると交戦時にそれが損傷したさいに爆発して機体が損傷する可能性を考えてしまいますが。

実際あると思います。AKUのボンベが暴発して負傷するコトがあるくらいですから大型の機関銃なら尚更です。

欧米の戦闘機は与圧キャビン持ってたのでしょうか?

4,000メートル以上の高度で高山病の症状が出ないもんですか?

欧米でも与圧キャビンを持ってるのは爆撃機くらいのものですよ。
基本的に座ったまますべてをこなす機体は酸素ボンベ+酸素マスク
長距離飛行などでパイロットなどが交代しながら飛行する機体は与圧キャビンと
考えた方がいいとおもう。

 当時の零戦などの巡航高度は2000m程です。

英国の場合、Ju-86P/RとHs-130対策で、SpitfireもMk.VIとMk.VIIで与圧室を設けています。
しかし、実用化された時点で、既にJu-86やHs-130は来なくなったので肩透かし。
そのエアフレームを利用したのが、MkIXでこれが大量生産されていたり。
このほかに、専用高々度戦闘機で開発されていたのが、Vickers432とWestland Welkin。
前者は不採用となり、後者が試作に勝って67機が量産されましたが、これまた、高々度爆撃機
の悪夢は無くなったので量産は中止されています。

ソ連も同じく、Ju-86P/R対策でPetlyakov Pe-2の原型であるVI-100を1938年に開発しています。
こちらは、排気タービンの不調でそれを外して、急降下爆撃機になりました。

ドイツはBf-190G-0~G-3が与圧キャビン付き。
これも、生産が面倒くさいので、結局それを外して、量産に適した形にしたのがG-6。

イタリア、フランスの戦闘機は実用化されず。

米国はP-38の増加試作機の1機が与圧キャビンを付けて飛行しています。
これがXP-38Aで続いて量産型B型、C型が計画されましたが、結局これらは試作のみで、
実際の量産型はP-38Dで与圧キャビンは取り払われました。
その後同じくLockheedが試作でP-49を製作しますがエンジンの問題で断念。
更に、これを元にP-58を開発しますが、重量増で試作すら断念。
Curtissの単発戦闘機P-62も与圧室付きで生産が予定されましたが、Curtissの既存機種
(P-47G)の量産を妨げないように、試作で打切りになりました。

(341:眠い人 ◆gQikaJHtf2)


第二次大戦中の戦闘機に射出座席あったの?

基本的に自力で脱出する。
大戦機で射出座席を装備したのはドイツの夜間戦闘機He219ウーフーくらい。

He162も射出座席は装備してるんで、ウーフーくらいってことはないわな。

伝説的な駄作機のポールトン=ボール・デファイアントなんかは、後部銃座の射手は背面飛行状態で
銃座の天井をはずさないと脱出できない構造だったとか。
他の人も書いてるように脱出時に尾翼にぶつかったり、きりもみ状態だと見当識の喪失や回転に
よって生じるGで脱出できない状態になることもしばしばだった。
さらには衣服がコックピット内の部品にひっかかったり、パラシュートを早く開きすぎて機体に
からまりもろともに墜落なんてこともあった。
こういう問題を解消して安全に脱出するためにエジェクションシートが開発された。

ドイツ軍機にあるR仕様は機種別に用意されているのか

型別(me109で言うA.B.C.D.E....)別なのか
更に細かい分類である(me109Gで言うG1.G2.G3....)の1つ1つに用意されているのか
この3種の中で正しいのは一体どれなのでしょうか?


時フランク·コリンズは、ピッツバーグスティーラーズでプレーしましたか?

R仕様は現地改修キット、U仕様は工場改修キット
両方とも機種とは無関係に定められているが車でいえばR仕様はディーラーオプションみたいなもんで
多彩なのは当たり前
しかも戦中に何度か(記憶では2回)仕様の定義(内容)が改められているので、どの時点のR仕様の
解説かで内容が異なってくるのも当然だ。まぁ「どの時点の話か」を明記すべきだろうとは思うが
で、R仕様の内容を時期的にも戦線での使用状況も明確に解説したサイトや本は日本語英語含めて存在
しないと思う

R仕様がやたら多く登場するFW190系の本の中に割と詳し目な記載があるもんもある
改修数が多いR仕様がU仕様に繰り上がる、なんてのは随時あって、定義変更は
その辺を整理しなおして集大成したもんだ
ま、あまりにもややこしくなってドイツ人たちも混乱したもんだから最終的には
RもUもSに統一されちゃうわけだが

現在の技術でレシプロ戦闘機を作った場合、第2次大戦時の戦闘機の性能を上回れるものは作れるのでしょうか

現在はレシプロエンジンの戦闘機が無いので何とも言えませんけど、
当時のフォーミュラー・レーサーと、
現代のフォーミュラー・レーサーの馬力を比較してみれば想像が付くんでは。
ちなみに、現代最強レベルのレシプロエンジンである
MotoGPマシンのエンジン出力は約1000CCの排気量で約200馬力をマークします。

当時のレシプロ戦闘機は水平飛行では音速の壁には達していません。
700km/hをすこし超えたくらいです。
今の技術で作れば800km/h程度は出せます。
またパワーウエイトも高く出来るので加速もよくなりますし、スラットやフラップによる旋回性能の向上も行われています。
最新の技術を投入すれば当時の戦闘機を圧倒することでしょう。


第2次世界大戦の国籍マークについて疑問なんですが、何であんなにわかりやすくマーク描いちゃうんでしょう

DB601のライセンスを別々に取ったってんでヒトラーに
「陸軍と海軍は敵同士かね」とまで言われたほどの某軍は
海軍では国マーク描いてたのに陸軍では意地はって描かなかったので
海軍機と陸軍機で格闘戦始まったこともある
それ以来こりゃマズいってことで陸軍でも国マーク描くようになった

逆に言えば、大きく国籍マークを描いておかないと味方に撃たれる。
特に、地上から対空射撃の的にされてしまう。

連合軍はノルマンディ上陸作戦の時にはわざわざ白黒の縞模様
(インヴェィジョンストライプ、侵攻縞と呼ぶ)まで描いて
誤射に備えた。
ドイツの防空戦闘機には味方の対空砲に撃たれないように機体下面
の全面に紅白のストライプを描いた機があったりする。

ただ国籍マークは特徴的なだけに「見えたからこそ間違えた」という
ことも起きる。
太平洋戦域では日本軍と間違えられるのでアメリカやイギリスの機は
国籍マークから赤い丸を抜いていたりした。


チップタンクを切り離さない戦闘機があったそうですが、格闘性能に支障はなかったのですか?

世傑「F9F」を古書店で探して読め
事例が特殊すぎて一般化は無理
簡単にいうと飛行の際はチップタンクの燃料から消費していくので
戦場についたころにはタンクは空になっているはずだ
もっとも、燃料タンクで一番危険なのは液体の燃料がなく、ガスに
なった分だけが残っているという状況なのだがね

WWⅡの飛行機のエンジン用バッテリーってどのようなものだったのでしょうか?

エンジンにBatteryと言うと、始動用のものを想定されているのかもしれませんが、
例えば、日本の発動機は手動もしくは外部から駆動することでスタートさせるもので、
電気を用いている訳ではありません。
また、英国のRollsRoyce発動機は、発動機横にエナーシャ棒を突っ込んでその回転
で始動させたり、もしくは圧搾空気を各気筒に送って、ピストンを動かして駆動させる形に
なります。

エンジンが動き出せば、ダイナモ発電機が駆動しますので、それで点火などの一連の
作業を行うことが出来ます。
末期の米国製大馬力発動機(R-3350)なんかでは、補助動力装置(自動車のエンジン
みたいなもの)が搭載され、それを駆動することで点火を行っていますし、バッテリーも
搭載されていたか、と。

勿論、無電機などを動かすための電気系統を持っていますので、蓄電池は持っていま
すが、これは始動に使っているものではなく、プロペラの回転でダイナモを回して得た
電気を貯める場合に用いたりもしています。

当時のバッテリーは飛行姿勢の変化で液漏れをしない工夫がされていたんでしょうか?

手元の資料に、Dagenite社(Rolls-Royce Silver Ghostなんかに搭載されていたバッテリーメーカー)の
1930年代後半の広告があるのですが、バッテリーにNon-AerobaticとAerobaticの2種類が掲載されています。
Non-Aerobaticの方は、普通の車に見られるような横置きで、上に液の補充口があるのですが、Aerobatic
の方は、密閉ケースに縦に置いて、底部に木の板があり、底板から金属棒を延ばし、延長線上に水平に金属棒を
通してナットで固定して、密閉ケースの周囲を締め付けるようになっていますね。

図にすると↓な感じの枠があり、これで□部分にバッテリーを入れている感じ。
 +             + 
 |   金属棒↓    |
 +-----------------+ ←頂部をボルトとナットで固定
 |             |
 |             |
 |             |
 | ← 金属棒     | ← 金属棒
 |             |
 |             |
 |             |
○             ○ ←ここで固定(フック引っかけ)
.-+-----------------+--- ← 木の板

(320:眠い人 ◆gQikaJHtf2)


本の中で「レシプロ機」と書いてある飛行機は、すべてプロペラ機という解釈でいいのでしょうか?

レシプロ機ってのは、要するに、ピストンエンジンを装備した機体のことだ
プロペラ機には、レシプロ機のほかに、ターボプロップ機もある
あと、レシプロのヘリコプターもあるな
ターボプロップは、(ものすごく乱暴な言い方をすれば)ジェットエンジンにプロペラをつけたようなものだ

ライト兄弟の時代から、20世紀の中頃までは、プロペラ機といえばレシプロだった
というか、ジェットエンジンの発明が1930年代末で、派生品のターボプロップは、
1940年代中頃にならないと登場しない

今のプロペラ機は、自家用の小型機などを除いて、ほとんどがターボプロップだな
C-130も、ターボプロップだ

ちなみに、レシプロエンジンと書くと何だか偉そうだが、要するに車などに使われている、
普通のガソリンエンジンやディーゼルエンジンと、基本的な原理は一緒だ


プロペラ機は、プロペラの先端に、黄色や赤の線を塗っているのはなぜでしょうか?

回転してるとペラの回転範囲がわかりにくくて危ないでしょ?
注意or危険を促す彩色です。

(自衛隊板初質スレ45:931)

ハインケルHe163での生産数と戦果を教えてください。

とりあえず、終戦までに約160~240機が完成済みで800機近くの組み立て前機体が生産されていたとか。

戦果に関しては、唯一の実戦部隊であるJG1の第Ⅰ飛行隊で敗戦までにイギリス空軍機2機の撃墜を
記録したとされています。
ただしこれは連合国側の記録と合致していないとも言われていますが。

He162のパイロットとしては、130機撃墜のJG1司令官ヘルベルト・イーレフェルト大佐が有名。

(311:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

WW2で、戦闘機や攻撃機のパイロットは互いに無線で通信等を行っていたのでしょうか?

米軍や英軍は無線電話を使って連携して戦闘を行った。
だが、日本軍の無線電話はアースの取り付けが悪かった為
エンジンの回転数を上げると雑音で通話が出来なくなった。
このため、日本軍ではハンドシグナルでの意思疎通が主となった。

攻撃機などでは専用の無線手がモールス信号の無線機で
(無線電話より確実=遠方まで伝わる)敵艦の位置とかを母艦に連絡していた。


誰が連邦の最長beeninた

WW2の艦上機と陸上機の差が良くわからん

なんか隼を空母に載せたり、零式を陸上で運用しても問題ない気がするんですが・・・
それに烈風が艦上機になれたなら他の陸上機(紫電改とか)を艦上機にしても問題ない気が・・・

現代のジェット戦闘機では陸上機と艦上機は大きな差があるが、
WW2の頃は着陸速度が早くないし、重量も重くないので(空母自体は小さが)
それほど大きな差はない。多少の補強などで陸上機を空母艦載機として
計画した例はいくつもある。
P-51Hは良好な結果を残したが、F8Fが実戦配備間近で緊急性がなかったのと米海軍は伝統的に液冷機は
使わないとの理由で採用は見送られた。そのかわりにジェット版といえるFJ-1の開発に踏み切った。
戦争が長引けばP-51を使った可能性も高い。
日本海軍は、紫電改を艦上戦闘機として採用する予定で、試作機が信濃でテストを行っている。
それ以前には海陸両軍の統合機として疾風のテストも横須賀で開始したが、海軍のプライドか艦上機のテスト
は行わず放置された。
ドイツでもBf-109の艦上機版Tが生産されたが、空母自身が未完成になったのは良く知られてる。
艦上機は特殊な機種だから、艦上機として運用する装備のかずかずはハンデにはなるが、
君の言うように戦争中は多少性能は落ちても生産の合理化や必要な時に必要な物が使える方が大事なので
計画は多くあったってこと。
それと大戦中の運用期間はせいぜいが2年ぐらいなので、現在のような30年も使うのとは
耐久性などもだいぶ違うことも大きな要素。

昔は風防開けて脱出しますけど、その訓練ってするの?

大戦中の落下傘の降下は降下訓練だけはやった。手順教えられても実際に使う時には簡単ではない。

大戦中、何故、イギリスやドイツは、日本やアメリカの様に航続距離の長い単発レシプロ戦闘機を開発しなかったのですか?

長い航続距離を必要とするような土壌がなかったから。
あと、長距離援護戦闘機は、複戦に任せるつもりで居たから。

大陸の戦場は、飛行場から戦闘空域までの距離が短いから、わざわざ多量に燃料を積む必要がなかったわけ。
あの航続距離で間に合ってたわけだ。極一部を除いて。
じゃあ、BOBはどうなのって言う人が居るかもしれないけど、むしろBOBの方が例外的な戦場だと考えたほうがよいと思う。
なぜなら、BOBまでは、航続距離が短い点が問題にされたことはないし、その後の戦場でも、大して問題にされてないのだから。

逆に日本は、大陸奥地の敵拠点を爆撃する関係上、長距離援護戦闘機が必要であるという土壌があって、ゼロ戦を作った。
つまり、用兵思想の違いです。

何で枢軸国は4発爆撃機が作れなかったんですか?

作ってましたよ。
ドイツは戦前、「ウラル爆撃機」構想で、ソ連がウラル方面に工場を移転した場合のことを考えて
其処へ爆撃を行う長距離爆撃機を作っていました。

ドイツの場合は、それを推進していた空軍の中の人が事故死だったか兎に角死んだので、陸軍
支援爆撃機になってしまった。

イタリアの場合も、大型爆撃機を考えていたのだけど、エンジンが非力でかつ金がかかるものより、
もっと機数を揃えられるものが良い、と。

日本は、陸軍は対ソ戦では基地から小型爆弾を搭載して、何度も反復爆撃が出来るものにする
と言う傾向があって航続距離の小さな爆撃機で十分、と言う思想。
海軍は長距離を飛んで、戦艦の土手っ腹に魚雷をぶち当てる為に、4発爆撃機を考えたが、高価
で、見本にした機体そのものが失敗作だったため、性能が低く、飛行艇と大差無いために、結局頓挫。

で、後に各国ともあわてて4発爆撃機を製作しているのだが、ドイツは技術的に凝りすぎて実用性が
低い機体になったし、イタリアはそこそこ作られたが、結果的に敗戦で脱落、日本は爆撃機どころじゃなく
なって、途中で打ち切りになった訳で。

(302:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

跳飛弾訓練とはどのような訓練なのでしょうか?

「反跳爆撃」とか「スキップボミング」と呼ばれる爆撃法の訓練のこと。
海面ぎりぎりの高度で目標の艦艇に接近し、間近で爆弾を投下する。
爆弾は石が水切りするように海面を跳ねて目標の舷側に突入する。
急降下能力を持たない爆撃機でも可能で水平爆撃よりも命中率が高いが、対空砲火の弾幕にまともに飛び込むことになるので危険も大きい。
爆弾を投下せずにそのまま突っ込めば特攻になる。

プロペラとの同調機構付きの機関砲は難しいギミックに見えますが、なんでそんな面倒な事をしたんでしょうか?

普通に翼に付ければ無駄な部品を用意しなくて済むのでは?

翼につける方がデメリットが大きいのです

左右翼の片方ないし両方に物体が付いていると、その付いている部分だけ空力を生めなくなる事
単純に翼に負担をかけてしまう事
銃座から離れた位置にあるため、照準の難易度が上がる事

まだまだありそうですが、こういった問題が次々に発生します
そうではなく、プロペラを機体の後ろに付ける、という研究開発はされていました
震電などが有名ですね。これらは推進式であり、牽引式の一般的なプロペラ機とは姿が違います
とはいえ、震電が開発される頃には日本でもジェット推進の航空機が開発されていた位で
プロペラ機自体がもう古臭くなっていたのですが

ああ、一応言っておくと、推進式のプロペラ機自体は震電なんかよりもずっと昔からありましたよ

機銃配置の問題をクリアするためにプッシャー式を採用した戦闘機としては、
デハビラントDH.2が有名ですね。

もっとも、第一次大戦期のプッシャー機は、中央部にプロペラを置き、それを
迂回する形で主翼から伸びたフレームに尾翼を接続する形式だったので、
滑らかに成型された胴体を持つトラクタ式の機体に比べて空気抵抗が大きく、
性能が著しく劣っていたため、普及しなかったようですが。

戦後になって液冷のレシプロ機がほとんど消えてしまったのに、空冷の方はしぶとく生き残っています。この差は何なのでしょうか?

レシプロ機が戦後も生き残った分野は爆撃機や対潜哨戒機のような馬力、航続距離が求められる分野。
しかし、液冷機ってのは気筒数増やして馬力を上げるってのが難しい。
仮に増やそうとするとエンジンがどんどん縦長になって冷却が難しくなったり、プロペラシャフトが長大になるから。
逆に空冷エンジンは気筒数増えてもエンジンの径を大きくなって行くだけで済む。
液冷のメリットは機体の空力設計の自由度が空冷と比較して高く、馬力の割りに高速にできる事だから
それならジェットエンジンの方よっぽど有利なので戦後は廃れてしまった。

レーダーや無線がまだ十分に発達していなかった頃、空母から飛び立った艦載機はどうやって戻ってきていたんでしょうか?

帰巣本能に頼る
推測航法とかいういいかたもあるけどな
磁石と速度計と時計を基に紙と鉛筆で計算するんだから、ま、勘とか当てずっぽうと大差ないレベルだ

方角だけは指示してくれる装置(ビーコン?みたいなモノ)が実用化してたような気がするのですが

 零戦/99艦爆/97艦攻とかに附けてたクルシー式の、1式空3号無線帰投方位測定機の事かな?
或る意味、無線機がボロで使い物にならない時期から実用化されてはいたが(日本ではw)
上まあ電波を拾わない事も多かったらしいが。

(297:フェチ ◆kK77XB6/ug)

「正確な誘導装置や航法装置がないと母艦に帰りつけない」
ような長距離を飛ぶ任務そのものが、初期の空母搭載機には想定されていなかった。
 そもそも、そんな長距離を飛ぶことが出来る艦上機が開発されていなかった
(できなかった)わけで。

 空母艦上機の発達と無線航法装備の発達はある程度リンクしてる。
 日本が珍しくその手の電子装備に熱心だったのも空母艦上機に長距離攻撃の
任務を担わせたから。

イギリスはそのことで悩んだ結果戦闘機に航法士乗せて二人載りにしてしまったな。
結果戦闘機としては大きすぎてあまり役に立たないものが何種類も誕生したわけだが。


日本の場合、特に開戦してからは戦闘機の通信能力が貧弱すぎて
僚機と意思疎通するときは手信号メインっつーか前提になってた
よく太平洋戦争ものの映画や漫画で手を色々な形にしてサイン送ってるあれ

爆撃機のガンナ―にエースはいたの?

水増しではないの?

シェンノートをみても分かる様に、アメリカ側の撃墜数の水増しはひどいからなあ・・・

あれって、撃墜に報奨金が出てたから、ひどかったんじゃね?

ジェット機と違ってレシプロ機に双発戦闘機が少ないのはなぜ?

レシプロ機の場合、多発機は表面積(プロペラ後流の影響範囲の増大も含め)が大きい分、空気抵抗
が増大します。
また、レシプロの2000馬力単発と1000馬力×2基の双発では特にジェットのようなエンジン重量
の利点が得られない上で後者の方が機体の重量が大きくなります。
(グラマンのF7Fなどは出力に物を言わせた設計で高性能を実現しましたが、あまりその方向に設計を
ふってしまうと片発停止時の飛行性能に問題が生じました。)

WW2のころ航空機に搭載されたレーダーってどの程度役にたったんでしょう?

ドイツの夜間戦闘機はレーダーでイギリスの爆撃機を夜間に探知襲撃してたし、
米英は地上をマッピングするレーダーで夜間や曇天時でも爆撃ができた。



艦攻や艦爆も編隊を組んでたようですが、なぜでしょう?

艦攻、艦爆はもちろん、双発や四発の爆撃機も密集編隊を組んで飛行するのが普通でした。
その理由は、敵戦闘機におそわれたときに火力を集中使用できるから。
たとえば7.7ミリ4丁積んだ爆撃機を考えると、一機一機バラバラに飛行していると、
4丁分の防御力しか発揮できない。
でも、10機固まって飛行すれば、40丁になるでしょ?
逆に言うと、編隊のはじっこにいる機はその分危険なわけ。カモ番機、なんて言い方もあった。

水平爆撃のさいは編隊は崩さず、密集したまま目標上空を航過して爆撃するが、
雷撃の場合はちょっと編隊を崩し、3,4機ごとに横に並んで雷撃した。
そうして命中率を稼ぐ。
急降下爆撃は目標の大きさによるけど、1機か2機程度にばらけ、
順々に攻撃するのが普通。でないと目標上空で味方機同士衝突のおそれがある。
何十機も同時に襲いかかるわけじゃない。
ちなみに、密集編隊を組むのも、順次攻撃のタイミングを計るのも高い技量が要求され、
下手がやると空中衝突というのも珍しいことじゃなかった。

単発のプロペラ戦闘機に推進式が使いにくかったのはよく分かりますが、複数発にも少ないのはどうしてでしょうか?

概念はライトフライヤーの時代からありましたよね。

時代によっていくつかの理由に分けられます。
黎明期のライトフライヤー型の設計が普及しなかった理由は二つあり、
当初は彼等の取得した特許の回避、後に重量と構造の単純さです。
ライト兄弟は一つのエンジンから二つのプロペラをチェーンで駆動するという
当時の出力重量比の悪いエンジンでも効率的な方法を編み出しましたが
必然的にその分の重量がかさみます。
一つのプロペラで設計するノウハウが熟達するとその必要性は少なくなり、
飛行機は一つのエンジンに一つのプロペラが常道になりました。
一つのプロペラを基盤に設計すると、先尾翼式でなくてはどうしても具合が悪く
なります。
(イギリスはWW1当初に機銃のための推進式の後尾翼を好みましたが例外です)
しかし先尾翼式には重心位置の許容範囲が狭いという欠点があります。
このため実用機の設計ではあまり好まれませんでした。
また鳥に似ていないという直感的問題も黎明期の飛行機開発では重要でした。

航空技術はWW1で大いに発展を遂げ、戦間期ごろからエンジンの出力重量比向上
により
一つの飛行機に二つのエンジンという設計が実用水準で視野に入ってきます。
おそらく質問者の想定はここからでしょう。少し詳しく説明します。

推進式のメリットはなんといっても流速が速いプロペラ後流から受ける
形状抗力の増加が無視できるため、推力を有効に活用できる点です。
つまり本質的に対気速度とプロペラ後流の差が大きいときに有効なのです。
これはどういう事かというと、高出力を発揮してるとき、つまり加速中です。

ところがレプシロ時代の戦闘機といえば単発が相場です。
双発が少なく、成功した双発が更に希少な理由はレプシロエンジンの
出力重量比が低いためで、エンジンを増やした重量に見合う分の
出力が増加されるのかが慎重な検討を要する作業になるためです。
一方で当時から双発以上が積極的に採用された爆撃機や輸送機などの関心は
加速よりもむしろ巡航にあります。
こうなるとデメリットが目立ってきます。

レプシロ推進式のデメリットは何個か挙げられます。
まず重心位置が設定しにくい事。
エンジンは重いです。飛行機の重心に大きな影響を及ぼします。
そして重心は空力中心の関係から主翼の前の方になければなりません。
推進式を採用するとエンジンは主翼の後ろよりになりがちですが、これはとても
まずいのです。
主翼前縁にエンジンを搭載すると軸を延長するなどの対策が必要になりますが、
構造が複雑になってしまいます。
この問題は重量にエンジンの占める割合が大きいほど深刻になるでしょう。
また離陸のために主脚は重心位置付近に配置しますので、自然に主翼の直近にな
ります。
ですから推進式を採用すると尾輪式でも前輪式でもプロペラが降着装置より後ろ
になり、
滑走路で巻き上げられた遺物がプロペラに直撃する危険性があります。
しかしタンデム式だけは設計次第といえるでしょう。

さらに飛行機はあらゆる事故を想定する必要がありますが、
その中に飛行中にプロペラがとれるという想定もあります。
牽引式の双発機では破損したプロペラは竹とんぼの様に前方へ飛んでいきます。
機体に衝突する可能性がある箇所はもっぱら胴体ですので、
左右それぞれ上部と下部の該当箇所にチタン板などをはり装甲するだけで済みます。
しかし推進式ではまず主翼にぶつかります。
これでは大惨事となる可能性が高いため、対策にも大きな力を裂かなくてはなりません。
以上の理由と推進式自体が当時まだ深く探究されてない分野だったという経緯により
質問者の疑問は解消できると思います。

B-36の推進式プロペラはレプシロエンジンの限界を超えた先を追求するような
巨大な飛行機を陸上機の実用水準で実現させるという技術的探究によるものです。
上述した様にレプシロは重量に比して出力が弱いですし、また、大出力化もしにくいです。
このために多くのエンジンを並べつつも、貴重な出力を無駄にしないために推進式が採用されました。
しかしそれでも出力が不足し、後にはジェットエンジンが増やされています。

現代の大型プロペラ機で推進式をみかけない理由はそこまでして節約しなくてもいいからです。
ジェットエンジンの実用化により軽くて強力なエンジンが搭載可能になり、
ターボプロップエンジンの開発によりプロペラ機もその恩恵を受けられる時代になりました。
このため、前述したデメリットを受け入れてまで推進式を採用する意義がありません。
また、輸送機や民間機などの業界は比較的保守的で、特に外見的要素は枯れたも
のを好みます。
このため顧客心理を不安にさせる設計はマーケティング的にも採用されがたいという理由もあります。
ビジネスジェットで推進式を見かける理由は、創意工夫を自由に発揮できる気風が養われている市場である点と、
性能の中でも燃費に大きな関心が寄せられている点などが挙げられます。



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