2012年3月17日土曜日

たちたち的嗜好回路ダフネ・デュ・モーリア

マキシムにとって、レベッカがもたらした禍がどれだけのものだったか。
レベッカによって、マキシムの心はどうなったのか。

作品中には、レベッカに出会って以後のマキシムしか出てこないので、レベッカに出会う前のマキシムを考えると、マキシムの気持ちや行動が理解できるかなー、と私は思いました。

ということで突然ですが、レベッカに出会う前のマキシムについて想像してみました。

想像のネタ元?を、茅野美ど里氏の翻訳『レベッカ』から引用します。
「わたし」が見た,恋人として・友人としてのマキシムの姿は、以下の通りでした。

マキシムはわたしが思っていたよりずっと陽気だった。夢見たよりもはるかにやさしく、心楽しい数々の場面で若々しく情熱的で、わたしが最初に出会ったときのマキシム、ホテルの食堂で空を見つめてひとりテーブルにつき、謎めいた自分の内面に埋没していたマキシムとは全然ちがった。わたしのマキシムは声をたてて笑い、歌をうたい、水面に石を投げて遊び、わたしの手を取り、眉間に皺を寄せたりせず、重荷も背負っていなかった。

(茅野氏訳、新潮文庫上巻、p.140)

もうひとつ引用を。ベアトリス(茅野氏の訳では"ビアトリス")が「わたし」にマキシムのことを話して聞かせた部分です。


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「あたしたち姉弟は全然似てないのよ」ビアトリスは言う。「性格が正反対なの。あたしはなんでも顔にでてしまう。相手のことが好きか嫌いか、怒ってるのか嬉しいのか。抑制ってものがないのね。でも、マキシムはまったくちがうの。すごくもの静かで、感情を全然ださない。何考えてるのか、さっぱりわからない。あたしはちょっとしたことでもすぐカッとなって爆発するけど、あとはけろりとして引きずらないの。マキシムが腹を立てるのは年に一回か二回ぐらいしかないんだけど、いったん怒ったらそれはもう、怒るなんてもんじゃないのよ。でも、あなたに腹を立てることは絶対ないと思うわ、とっても穏和そうでかわいらしいもの」

(茅野氏訳、新潮文庫上巻、p.198)
この部分は前回の記事でも部分的に引用していて、「すごくもの静かで、感情を全然ださない」は大久保氏の訳では「思慮深くて我慢強い」になっています。

この辺りを思い出して、のろのろと想像しておりました。
以下は完全に私の想像です。原作にはどこにも書いてありません。


 マキシムは小さなころは"明るいけどどこか落ち着いた性格"だった気がする。走り回ったり遊んだり笑ったり泣いたり、元気いっぱいだけど、実はじっと大人を観察してもいるような感じ。さばさばしたお姉ちゃんにいいところ持っていかれたりして、顔には出さないけど実はぐっと我慢しているような、そんな弟。
 そしてあるとき我慢しきれなくなって大暴れして、もちろん怒られる。お父さんは怒ると怖い。お母さんも怒ると怖いけど最後はいつも優しい。

 マキシムはお父さんの背中を見て何か…マンダレイを継ぐ事がどういう事か…を感じていた。だからマキシムは頑張った。両親はかわいがってくれたけれど、マキシムはどこか無理していたかもしれない。心のどこかでもっと甘えたいと思っていた。


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 マキシムは、マンダレイの自然が大好きで、お父さんと長時間の散歩に出かけるのが楽しみだった。マンダレイへの親しみは、マキシムが成長するにつれ深まった。

 基本的に朗らか。すごい家柄に生まれながらそれを鼻にかけることはなく、むしろ鼻にかける人を軽蔑する。軽はずみな行動を好まない&とらないので、仲間や大人たちからの信頼は厚い。マンダレイへの愛情は人一倍深く、誇りを持っている。

 育ちの良さがにじみ出たハンサムな顔立ちで、ひそかに彼に恋する女性もたくさんいたかもしれない。

 こんな感じ。
 マキシムは、愛情を与えられ歪むことなく普通に育った"おぼっちゃん"。恵まれた環境と良い人々の中で、まっすぐ育ったんじゃないかなー、明るくて穏やかで元気だけど抑えこんでいるところもたくさんあって…
と好き勝手に想像しておりました。


 ちょっと勝手すぎた想像でした(汗)
 が、「そんなマキシム」の前に現れたのが、レベッカだったんだ…と思った時。レベッカが思い通りに生きるために、利用するために、誰もがうらやむ家柄・生活の中に育ち見た目も良いマキシムに近づいたのか…と思った時。作品中のマキシムの心の中を覗けた気がしました。

 マキシムの心の中…それは怒り・憎しみ・悲しみがないまぜになった、深く出口の見えない苦しみに満ちているように思います。
 誰にも心を開けない孤独感も満ちています。

 レベッカの本性に気付きながらも結婚してしまい、己や周囲を欺き続けなくてはいけない自分自身への軽蔑と怒り。レベッカに対する激しい怒りと憎しみ。そして人を信じること・愛し愛される喜びを失ってしまった深い悲しみ。そういった負の感情が家名を守る重責とともに渦巻いて、大きな苦しみとなってマキシムにのしかかっていたんだと思います。


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 自分を偽るって、心がこわばって弱ってしまうこと。心に細胞があるとしたら、偽れば偽るほど細胞が壊死していくようなもの。
 そして愛がないって、こんなに悲しくてからっぽで苦しいことはないです。

 レベッカを殺したことは、発覚したらそれこそ身の破滅なのに、マキシムに後悔はない。なぜならそれはマキシムの心が抵抗して起こした爆発であり自衛本能だから。
 しかしレベッカ殺害の代償は大きかった。レベッカを消し去ったというのに心は平穏になるどころかさらに荒れ、苦しみは増しました。「憎いレベッカの死」を世間的に「愛する妻の死」にするために、夫として悲しむ演技をしなくてはいけませんでした。
 それでもマキシムは苦しみに耐えました。しかし、演じ続けなくてはいけない虚しさがつのります。

虚しさは、心に隙をつくります。

 隙ができた心には真っ黒な闇が入り込んできます。振り払ってもまとわりつく黒い感情。何度も何度も読み返したあの詩の通りに、マキシムは苦しみと虚しさから逃れようと闇の中を必死に彷徨っていたのです…。

 すり減ってしまい、生きる希望が消えそうになったマキシムは、これまでのことをすべて忘れて、はじめから生き直そうと決心し、旅に出ました。

 ぼろぼろの状態のマキシムが出会った「わたし」は、マキシムにとって希望の光そのものだったと思います。


 レベッカを強い香りで周りを惹き付け、惑わせ、翻弄する大輪の花だとするならば、「わたし」は可憐でそっと慎ましく咲き、見る者をほっとさせる野菊のような小さな花。夢見がちで、自分に自信が持てなくて、ときに向こう見ずで。だけど両親から愛情を受けて素直に、穏やかに、まっすぐなままに育った「わたし」。穢れを知らない少女のような、大人になりきれない不安定にゆらめく「わたし」の心の輝きに、マキシムは惹かれます。
 「わたし」を見て、話を聞いて、マキシムは「わたし」に自分と共通する価値観を見出しました。ずっと孤独だったマキシムの前に、やっと心を分かち合える人が現れたのです。「わたし」と一緒にいると、マキシムは昔の自分を取り戻せる…と感じました。
 マキシムは「わたし」に素直な輝きを失ってほしくなかったから、「わたし」に"大人"になってほしくなかった。そして、この輝きが自分から離れていってしまうのが怖くて、過去を明かすわけにいかなかったんだと思います。
 
 本当に本当にマキシムは救われたろうと思います。絶対に手放したくなかった、だから別れるとなった時とっさにプロポーズしたのでしょう。この結婚は、マキシム自身の復活をかけた個人的なもので、家名のことはプロポーズの時頭からなかったと思います。
 
 いとおしくてたまらないのに、マキシムは素直に愛情を表現することができません。また愛されなくなるかもしれないからです。臆病な気持ちを、苛立ちや不機嫌さで隠します。


 マキシムは「わたし」に"大人"になってほしくなかった。でも、本当にマキシムが求めていたのは、母親のようにすべてを受け入れて愛してくれる安定した存在。過去も弱い自分もすべて包み込んでくれるような存在でした。
 レベッカの船が見つかって、中から見つかった死体がレベッカだとわかって絶望したマキシムを救ってくれたのは、マキシムの愛を得て"大人に"成長した「わたし」。マキシムは「わたし」の不安定なゆらめきを失う代わりに、安らぎの場所を見つけたのでした。


……マキシムは幸せなんだろうか。苦しみの中でも必死に生きようとしたマキシムには、幸せであってほしい。そうでなければ辛すぎる。

あー、全然まとまらない。

もっとマキシムっていろいろな面があると感じたんだけど、それは以降の映像作品を見比べする時に、書けたら書きます。

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